「お茶が入りました」と「お茶を入れました」
いよいよ秋も深まり、朝夕肌寒さをおぼえるようになりました。
こんな季節は温かいお茶でも飲みたくなりますね。
さて、皆さん。
そんな時、皆さんは、
「お茶が入りましたよ」
「お茶を入れましたよ」
のどちらで他の人たちに声をかけますか。
「お茶が入りましたよ」と言う方が多いのではないでしょうか。
しかし、この文。よく考えると、不思議な文でもあります。
「お茶は自分で茶碗の中に入る」ことはありませんから・・・。
でも、私たち日本人は、「お茶が入りました」という言い方に何ら違和感を
覚えません。
「お茶が入りました」という言い方に何ら違和感を覚えません。
むしろ、「お茶を入れましたよ」と言われた方が、妙な感じを抱くかもしれません。
では、どうして「お茶が入りました」が間違った表現にならないのでしょうか。
この「入る」という動詞は「自動詞」です。
自動詞と言うと、「自らが動く動詞」と思われるかもしれませんが、
日本語の自動詞には「変化の結果を表す」という働きがあります。
例えば、
「私はドアを開けました(他動詞)。」
→→(その結果)「ドアが開きました(自動詞)。」というように。
ですから、この「お茶が入りました」という表現も、
「私がお茶を入れた(他動詞)」
→→その結果「お茶が入った(自動詞)」
という意味であり、決して、お茶が自ら動いて茶碗の中に移動したという
意味ではないのです。
では、どうして「(私は)お茶を入れました」より、「お茶が入りました」
という結果を表す表現の方が好まれるのでしょうか。
実は、日本人は「動作主である自分を言い立てないことを良しとする」価値観
を持っていると言われています。
それが言葉の面でも表れています。
一番分かりやすいのが、「今度、田中さんと結婚することになりました」
という挨拶でしょうか。
結婚すると決めたのはもちろん自分ですが、「~になりました」という表現を
使うことで、自分を隠しています。
これと同じように、「お茶が入りました」という表現も「~が入る」という
自動詞を使うことで、結果の方に視点をおき、お茶を入れた自分を隠している
のです。
つまり、「お茶を入れたのは自分だ」ということを言い立てない価値観にあった表現なのです。
「お茶が入りました」
特に意識もせず使っている表現ですが、この中に詰まった日本人の価値観を
感じながら、お茶を入れ、誰かに声をかけてみてはいかがでしょうか。
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