もしそうだとしたら、私はどう過ごすのだろうと何度も考えた、幾つかの道を洗い出した。

お金を使い切って、体験したことのない1日を過ごすとか、普段なら一生やらないことやってみるとか、好きな人と一緒にいられるだけで何もしなくていいだとか、自分だけを犠牲しても世界を救って悲劇の主人公になるとか。

けれど、どれも自分には合わないと思う。

じゃ、私はどうしたいの?と、もう一度深く考えた。

不満に溢れてる人生だけど、生物の本能なのかはわからないけど、まだ生きたい、死にたくないから、逃げれるのなら、まず逃げたい。

でも、世界が終わるのなら、宇宙に逃げるしかない、私にはできないから、逃げるのは無理だと思う。

そう考えると、やはり終わりに直面した方が現実だ。

私には、恋人がない、抱きしめて終わりを迎えるのはできない。家族とも離れて生きているから、一人でそれを迎うことになるのだろう。

ネットで誰とでも繋げるから、愛する人と愛される人と連絡をとり、残せる全部をコッソリに相手に託して、何も起こらないように、笑顔でお互いに最後を口ずさむのだろう。

それ以外の時間なら、普段でもできる生活を過ごすと思う、料理するとき、どうせ今日が最後だし、ちょっとだけでも許されるよねと冗談半分で少しだけお肉の量を増やすぐらいだろう。

まだ渡せてないお土産はちょっと勿体無いだ、けど仕方がないくらい考えるだろう。

いつもコーディング生活過ごしてた自分に、全てのスクリーンを閉じ、本を読んで、静かな時間を過ごすのだろう。そんな時、アロマキャンドルでもつけたほうが雰囲気がもっといいかも、そうだ、せっかくだから、イルミネーションライトも飾ろう。

夜になると、どうしても寝るのちょっと嫌になるだろうから、眠くなるまで起きていよう。部屋に優しい曲流し、空が晴れれば、星をぼーっとみるのもいいかも、曇れば、スカイツリーでもみよう。

眠くなって、流れている曲をそのままにし、横になって、夢に潜って会いたい人に会いに行く。

25時に迎え、大地が溶岩の動きで、裂け始めた。