『誰にも迷惑をかけないよう気をつけてください』って言うことは、日本でみんな教われている。

しかしながら、中国では、そういう教育は少ないと考えられるでしょう。

私を例として、小ちゃい頃から、周りの親戚、親しい人達は、みんなほとんど利己的です。

もちろん家族には貢献できるかもしれないけれども、外に対して、ちょっとだけ自分に不利になれば、すぐ怒る、あるいは大声で叫ぶ。

私、日本の文化が好きというのはこういう時に一番わかる。

人に迷惑をかけるのは嫌でう。

他人に迷惑を掛ける人を見るのも嫌です。

だから、私は逃したい、この汚い家から、この教育制度から。

けれど、この家で、教わられるのは我慢、何があっても我慢しなければ行けない。

おかげで、今の温い性格の私がいった。

欲を控えて、自分を傷つけばかり、もう壊れたよ。

本当の自分は多分ずっと前から消えた、今残ったこの私はただ望まれた様子、ほんの私ではなかった。

そういえば、今朝、あるvtuberの動画を見ました、私確かにメガネを掛けています、おかげで、本物の私が隠される。

辛い、とっても辛い。

私は何度も死のうと思ったの、中島美嘉さんの「僕が死のうと思ったのは」と同じだ。

私多分優しい人かな、自分で言うとはおかしいだけど、誰を傷つけさせたくはない、そこで、高一から好きじゃないある女のクラスメートと付き合った。

相手に傷つけさせたくはないので、告白を受けって、付き合って始めた。もちろん傷つけるのは私、これ多分十分だ。

でもさ、私、高一の時、本当に好きになちゃった女の子が一人いる、臆病な私は告白さえできなかった。

匿名のメッセージで告白して、断られました。あの子絶対に私だっとわかる。

今でも好きです、あの人のこと、昨年この子と一緒に映画館で天気の子を見ました。

デートみたいな3時間ぐらい、私とっても好きたった、今でも、その日のチケット半券はまだ携帯の後ろに保存している。

一昨日、ハードディスクを整理した時、高2時代、彼女を誘ってコミックに行った写真が見つけた、とっても大切な資料と保存した。

消してなくて自分に感謝している。

6年ぶりの告白して、再び断れました。予想内の結果だ。

これからずっと諦めないと思っています。

私多分資格を持ってないかも、生活を楽しめるの資格も、優しいをしてもらった資格も。

本を読むのが好き、何度も「自分が文学少女になれるかも」と思った。(笑いたいなら笑え。)

でも、私本が好きになる資格でもない、私は汚いだ、純潔、高尚な本とはあってない。

そう、私は汚い、なんの資格を持ってない、死ねばよかったよね。

でも、命をあきらめたくない、ただ好きな人に救われた、彼女の何に対しても楽観的な態度、なんのことでも一生懸命する姿、この目で見えた。

滝川みう言った、「一番やりたくないことをしに来ました」、私はアイドルになれない、けれど、お人形になりたくもない、だから「なんにだってなってやる」。


こちらにあの子を少し書きます

あの子はとっても可愛らしくて、元気なタイプです。

声も可愛い、体が小ちゃい。

萌キャラでもできて、大人っぽいキャラでもできる。

大人が嫌い私にも、この子の姿を見ると、大人しさが好きになるぐらい。

でも多分なんだけど、彼女はとっても弱い、私と同じぐらい、自らを隠して、この世界に傷つけないよう別の自分を作った。

だから、本当に彼女と付き合いたい、付き合って、彼女の裏を表しさせたい、そんなに強なくてもいいって教えてあげたい。

こういう存在になりたい。